2010年03月07日
尊敬する先人達(3)
沖縄珈琲栽培、第一号の偉人は名護市に居られた。
親川仁吉先生はブラジルに渡りコーヒーの苗を持ち帰られた。
20年前に拝見した初代のコーヒーの木は幹周りが80センチ程度あり斜めに立っていた。
案内して下さった親川氏のご長女がよく当時のことを覚えて居て、
「私が生まれるまえにコーヒーはあったはず」
どうしてと伺うと
「父がブラジルに行って、コーヒーの木を持ち帰りその後私が生まれたわけさー」
とのことで納得できる。
さてそれがいつごろのことかと言うと、このご長女は今年85歳で先日多くのお孫さんたちに囲まれて盛大なお祝いがあった。
と云うことは御誕生まえの4~5年前にはコーヒーの木が植えてあり、90年前には名護市にコーヒーが実り仁吉さんという粋人が実際に沖縄コーヒーをたしなんでいたと言うことになる。
「私は長女だったから両親の手伝いをよくしたさー」
という。
「焙煎はどのように、粉にしましたか」
「鍋でやいて、石臼でひいたよ」
「その石臼をみせてよ」
「どこかに消えてしまったさー」
と笑い飛ばす会話に終始し
「そのコーヒーの木はどこにあるの」
「あっち」
と言って小高い裏山に案内して頂いた。
親川仁吉先生はブラジルに渡りコーヒーの苗を持ち帰られた。
20年前に拝見した初代のコーヒーの木は幹周りが80センチ程度あり斜めに立っていた。
案内して下さった親川氏のご長女がよく当時のことを覚えて居て、
「私が生まれるまえにコーヒーはあったはず」
どうしてと伺うと
「父がブラジルに行って、コーヒーの木を持ち帰りその後私が生まれたわけさー」
とのことで納得できる。
さてそれがいつごろのことかと言うと、このご長女は今年85歳で先日多くのお孫さんたちに囲まれて盛大なお祝いがあった。
と云うことは御誕生まえの4~5年前にはコーヒーの木が植えてあり、90年前には名護市にコーヒーが実り仁吉さんという粋人が実際に沖縄コーヒーをたしなんでいたと言うことになる。
「私は長女だったから両親の手伝いをよくしたさー」
という。
「焙煎はどのように、粉にしましたか」
「鍋でやいて、石臼でひいたよ」
「その石臼をみせてよ」
「どこかに消えてしまったさー」
と笑い飛ばす会話に終始し
「そのコーヒーの木はどこにあるの」
「あっち」
と言って小高い裏山に案内して頂いた。
Posted by 名護珈琲 at 17:18│Comments(0)
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